新聞の切り抜き 南日本新聞 南点
(堂園メディカルハウス院長)堂園晴彦氏より転載
『お見舞いにも作法があるようだ。
先日、私の診療所の看護婦が、茶道の第一人者の訪問看護に行ったとき
その作法を聞いきた。
「前の病院で、あと2、3週間と言われたの。
転院したとき、先生に、まだしなければいけないことがあるから
2、3週間は生かしてくださいと、お願いしたの」
看護師にそう話した患者さんは、やらなければいけなかったことはすべて終え、
その2,3週間も過ぎていた。
今は、自分の死亡広告の原稿や葬式のBGMを考えたり、墓の準備をしたり、
全く自由な時間でいろんなことをしている。
大好きな茶道をして残された人生を送り、何の心残りもなく、
いつでも死の準備ができているそうである。
「でも、死ぬ気がしないんです。」と語ってから、お見舞いの作法に話が及んだ。
「思いやりのある人はね、事前に連絡が来て『何日の何時に行ってもいいですか?
何か必要なものはないですか?』って言ってからお見舞いにくるの。
でも突然やってくる人もいます。自己満足だと思うわ。病気になって
『お見舞いに行かない親切』もあるのがわかったわ」と、話したと聞いた。
別の患者さんは「だらだら長くいて、あれこれ聞かれるのがいや。
せいぜい、十分で帰ってほしい。
意外とやっかいなのが親戚なんですよ。それと遠方から来た人。
わざわざ来たという気持ちからか、長いんですよ。」と語った。
重病人のお見舞いに行くとき、どのような言葉をかければいいのか、悩む。
韓国の医師で詩人で姜唱中(カンジョンジュン)氏は
「実った果実の味から過ぎ去った季節のことを跡で知る」と、書いている。
病気で変わってしまった姿を見たとき、「過ぎ去った闘病生活」を想像してみる。
そして「頑張ってね」より「頑張ってるね」と
「る」を入れて、言葉をかけてみてはどうだろう。』
長い文だが、あえて転記した。
わかっていることなのに…。読んでて、せつない。胸をしめつけられる。
1日、1日を大事に生きていかねばならない命なんだ…。
元気でがむしゃらに頑張っている今、せめてお見舞いの作法は守ろうと思う。